現在の木津屋本店総務部にあたる建物は、木津屋池野籐兵衛家住宅(きづやいけのとうべえけじゅうたく)として、岩手県指定の有形文化財に指定されています。建てられたのは天保5年(1834年) で、その後現在に至るまで、変わらず岩手の皆様と共に歩んできました。
隣接する土蔵も、同様に岩手県指定の有形文化財です。以前は実際に使われていたもので、現在でもその名残である仕分け棚や収納箱などが保存されています。
家の側面は主屋、渡廊、土蔵と一続きの白壁で、随所に小窓が配されるなど、起伏する空線と共に極めて画的な造りになっています。
また、防火建築として発展した塗家造り、土蔵造りに加えて、金網付鉄格子の小窓(現在は木格子)、店の間の一部の床下切穴、 そして土蔵地下室に品物を入れ蓋をすると砂で覆われるなど、防火と防盗への細かい配慮がなされています。家の内側でも、二階から外に出られる非常用の避難路や、二階の部屋に上ってこられないようにするための工夫がなされています。
顧客への対応も工夫されており、閉店後に閉める板戸には対応用の小窓が設けられています。
木津屋本店は現在地に店を構えてから、何度かの類焼に遭っています。しかし、天保5年(1834年) の大火でやはり類焼した木津屋本店は、防火対策を施した現在の建物を再建しました。そして、その時備えられたのが木津屋本店の火消し用具一式です。京都製の龍吐水(消火用水鉄砲)、火消しうちわ、昆布むしろ、皮はり手桶(水桶)、火事頭巾など、20種類にも及ぶ防火用具が用意されていました。
木津屋本店が現存していることからも分かる通り、これらの防火対策、火消し用具は実際に大きく役立ちました。明治17年(1884年)11 月、下ノ橋の監獄から出火したという大火は、八幡町までの河南地区の大半を総なめにし、1432戸を焼失しました。ですが、鉈屋町、川原町方面への延焼は木津屋本店でくいとめられたそうです。